白土桃山開発について

白土桃山、U-Houseの紹介

本年7月末に長崎県島原市白土桃山で別荘U-House(鉄骨造約77㎡)を構築しました。場所はイオンや税務署の近傍(南)に位置し、国道251号線から寒ざらしの「銀水」の方へ入り、左手の坂を上った丘(約1,892㎡ 住宅増築予定部分を含む)の上にあります。建物はU-House、丘全体をU-Gardenと称しています。

近くには霊丘公園、旅館南風楼や観光施設銀水があります。用途地域は以前から商業地域で、中華料理や和菓子の店はその名残のようです。

別荘は、私が滞在するのは月に数日程度で、せっかくなのでその日以外は若い人のコミュニティなどに利用してもらえることを希望しています。邸内にはゲストスペース(カフェスタイル)やギャラリースペースも併設していますので、地元の作家さん達の発信の場として、また、福岡の作家さんたちとの交流の場にでもなればと思っています。

以上はあくまで私の個人的な希望で、既存の各業態からも支持されるようなALL島原というテーマで、もっといいアイデアがあればと思っています。

別荘からは対岸の金峰山、宇土半島、三角、天草、山側は眉山などが見渡せ、カフェスペースから遠望すると気持ちが晴々します。

植木元太郎邸

東隣(海側)には古民家風の家があります。元衆議院議員、初代島原市長、自らを「鉄狂斎」と号し、島原鉄道社長でもあった植木元太郎氏(植木翁)の別邸で、島原鉄道沿線の邸宅に向かうポイントには今も石碑群が残っており、邸内にも施設名称である「船山荘」という碑が立っています。

同邸から西側を見上げると、これまで地域住民と共にあって、幾多のドラマを生んだ眉山を望み、東側には海に突き出すように縁側が造作され、眼下に有明海が大きく広がり、文字通り船と山がパノラマ状に見渡せたようです。視線をやや手前に落とすと、丘を下ったすぐ先には敷設された軌道敷が左右に伸びています。往時、島原鉄道の汽車はこの地を通る時は徐行し、汽笛を鳴らすと待機していた植木翁は縁側から列車に向かってその姿が見えなくなるまで手振りされていたそうです。

私がこの地所を購入した当時、情報を得た地元郷土史家の故松尾先生が私と連絡を取りたい旨の話をされていることを知り、私の方から島原城に先生を訪ねたことがありました。話の内容ぶりは他でもなく隣家の旧植木邸の復興協力依頼の件でしたが、ただ、私も島原での関わりの基礎があまり無かったことで、その場では趣旨には大いに賛同しますが・・、と明確に返答出来ませんでした。

それから私は・・・城内佐久間邸の購入、地元会計事務所と合併という郷土島原との縁を深める時系列を辿ることになりました。

開発動機

知人の紹介でこの地を訪れた時、私が発想したのは、大きく切り込まれたような入江の近くに大正浪漫の旧南島原駅舎や龍馬上陸の地跡があることから、将来銀水が復活した時の提携施設(点から面的展開)となり、更に天如塔、鯉の泳ぐ街などを経由して島原城、武家屋敷まで繋ぐウォーキングルートを確立出来れば、実際の龍馬が歩いたルートと併せて市のメインの観光資源に出来るのではと構想したことによります。

とはいえ、地元協力だけで投資を決めたわけではなく、私自身が以前から夢想していたものを自己満足的に作りたくなり、このような開放的な別荘地を構築した次第です。飲食業を営むことは想定していません。

以前、有名建築家がこの入江の様子に、「ここはヴェニス風だな。」と感嘆しておられたと聞いたことがあります。トロ箱サイズの道も「ここはロジ(路地)シティだな。」とつぶやいておられたそうです。ところが、この間、旧南島原駅舎は建て替えられ、龍馬上陸の地も埋め立てられ始点としてのポイントが変貌してしまいました。防災は第一ですが、同時に言葉にならない郷愁も感じます。

U-House名称の意味

私事で恐縮ですが、高校卒業まで長屋住まい(景観上の問題で取り壊しになりました。)で、「丘の上の白い家」に住むのが夢でしたが、今は己を知ってマンション暮らしです。端緒的にはそんな思いを込めての私の姓からのネーミングでしたが、今は勝手に「植木邸ハウス」と思っていて、現実にコミュニティ的利用が実現し、ステイクホルダーが問題なければ広報的にもその方がいいと思っています。

ある地元出身作家の「島原伝説」の一節を紹介します

「プロローグ・・・ここ白土桃山は、以前この地域で沿海漁業が盛んであった頃、当地の商業の中心地として栄えた。今は当時の栄華を垣間見ることは殆どできない。嘗て、道路隔てた西側には小高い山があり、地域住民の散策の場所となっていた。急な石段を登った上には神社が鎮座し、豊漁や安全祈願の神事が執り行われていたが、国道工事で切り崩されて一部の石段と移築された祠がひっそりと残っているに過ぎない。

東側の入江は海沿いから奥深く運河状に切り込まれたようになっており、来島した高名な建築士は「まるで、ヴェニスのよう!」と絶賛した。

その入江の一角に「龍馬上陸の地」がある。龍馬は勝海舟とともに熊本から有明海を渡ってこの地に上陸し、細い路地を通って城下の方へ進んで行った。

・・・決断した様子の男は一間もない狭い路地を歩き出し、・・・女は男の後ろからやや小走りについて行く。二人は嘗ての龍馬達と同じように進んで行くと、程なくして小丘の入り口らしき場所に突き当たった・・・」