日本橋~北千住

久しぶりに秋葉に行った。羽田空港でパスモをタッチした時、残金200円しかなかったがモノレールにとびのった為に秋葉原駅でPASMOとSUIKAに現金チャージ、これで今回は万全。用事が終わったのが15時前、ここから予定通りに、まずは聖地日本橋へ。

地下鉄日比谷線の三越前で降りて、やや南下。道路元標広場に着いて、手を合わせ、一人厳かに出発式。

戻るように信号を渡って三越横から宇都宮目指して出発。

左手に三井日本橋タワーを過ぎるところで右折。角のビルに大きな写楽の絵が。右折した先の方に首都高速のガードが見える。ガードを地下道で超えると大伝馬本町通りの表示、まだ日本橋の喧騒からそう遠くないがいきなり旧道を感じる光景となった。

少し歩くと日光街道、本通りの道標があった。正面にスカイツリーが見える。雨がぱらつく。

ローソンで傘を購入。雨中の行軍となる。途中で左折するタイミングを間違い、一本遅れて左折。小伝馬町3丁目の表示だ。ここから旧街道とは少し無縁の雰囲気だが一応江戸通り。鞍掛町、馬喰町となんとなく往時の雰囲気の地名の中を進んでゆく。

問屋街の道標があった。確かに有名な卸屋さんのビルが続く。歩道にはハナミズキが。

浅草橋に着く。靖国通りと交差する大きな交差点を越すと郡代屋敷跡の案内板があった。橋を渡ると神田川には屋形船が何隻も。浅草見附跡の案内板があった。ここが川を背にして東北、関東一円を睨む外堀城門の一つだ。

JR線ガードを潜って今夜投宿の東横インに不要な荷物を置いて再出発。ホテルの名前がアキバ浅草橋???営業上かな、そういう自分もアキバが近いと勘違いして予約したのだが。

まあ、日光街道沿いにあったので幸か不幸か(笑)、かえって良かったのかもしれない。荷物は減ったが、今日はスタートが3時という遅いスタートなので、なんとか北千住を目標とすることにしてホテルを発つ。

まずは雷門経由で言問橋から泪橋の方へ目指す。幕府の米蔵由来の蔵前交差点を通って厩橋の交差点に。確か前橋城も以前厩橋城と呼ばれていた記憶がある。

さらに浅草の交差点に。手前に駒形どぜうの看板が!久しぶりだが、まだ時間が早いのでもちろん通過。

交差点通過時にスカイツリーがよく見えた。開業前だが展望台にたくさんの人が。羨ましい(笑)

雷門の方へ。いつも観光で来るのだが今回はウオークインで登場。人ごみを避けながら仲見世を街道歩き。途中でふと見ると浅間神社があった。富士信仰の象徴だ。当地の浅間神から分祀されたものである。

江戸歌舞伎の象徴の旧浅草猿若町を経由して言問橋西へ。ここから泪橋、山谷を通っていく。山谷堀公園を過ぎると遠目に南千住駅が見えた。

泪橋の交差点に着く。ここは処刑される囚人と今生の別れとなっていたことがその由来である。品川宿の先、京急立会川のところにある浜川橋(別名泪橋、処刑場は鈴ヶ森。)と同じだ。

明日のジョーの丹下拳闘倶楽部もここにある設定だった。

南千住駅

ゆたちゃんのブログ

南千住駅の歩道橋を超える。今までみなみせんじゅう、と発音していたが、駅の看板見てびっくりした。今まで注意されたこともなかったが、周りの人はまあ、敢えて指摘するほどのことはない、という感じだったのかもしれない。

しばらく北進して須佐能神社のところで大きな国道に合流、4号線は車で通ったことはもちろんあったが歩くのは初めてだ。隅田川にかかる千住大橋を超える。対岸に着くところで左手にいろいろな芭蕉の遺構が見えた。

松尾芭蕉は奥の細道で旅立つ時、ここでお見送りの人と別れた。矢立初めということで、今で言うブログ初めということかな。東海道の川崎市の八丁畷と芭蕉の句碑と同様だ。おくの細道の旅立ちの地、ここが奥の細道の聖地となるのかもしれない。

しばらく北進し、4号線から分かれてJR北千住、千住の宿の方へ。ここで宿場町の雰囲気が一気に増す。分岐入口には宿の案内とやはり芭蕉像が。

この辺りは天正時代から水産関連の足立市場があり、都民の台所となっている。やっちゃ場(せり場)の解説板有り。「行く春や鳥啼き魚も目に涙」の句も往時が忍ばれるものである。芭蕉立像の座石は当時のセリ場の石らしい。

千住仲町、商店街の方へ。問屋場、本陣跡があった。

だんだん暗くなって北千住の駅が近くなった。今日はここまで。近くで食事処を探す。恐る恐る店のドアを開けるとカップルが数組、ここは良さそう。料理も接客もばっちり、今日は良かった、食事が全て(笑)

駅前でラーメンの締め。

浅草橋のホテルへ。

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