川崎の宿~神奈川の宿 三日目

川崎の宿~神奈川の宿(ひょっとしたら保土ヶ谷の宿まで)

横浜の仕事は翌日だったが、前日にディナーでもということだったので会社の担当者と午前中の便で東京入りし、17時半に横浜駅で落ち合うことにした。羽田着後、先日マーキングした京急川崎を目指す。ところが川崎で前回到達ポイントが探せず苦戦、分かりやすい地点と思ったんだが???

右往左往していると、いさご通りの看板が、

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「あった(思い出した)。」

AM11.15スタート

川崎大師に寄ってみたいが微妙な距離、別の機会にして先を急ごう、当時の旅人も同じ思いをもった人もいただろうなと一人勝手に妄想しつつ、それなりに趣きある町並みを通りながら川崎京宿から鶴見を目指して進行。

川崎の宿の外れ辺り、芭蕉の石碑と「麦の別れ」の道標があった。ここまできてもまだ、お見送りの場所かよ、という感じだが、八丁畷が見えると頃まで来ると旧宿場町の雰囲気がなくなり、京都へ向けた本当の旅の始まりという印象だったのかもしれない。ラーメンやビールとの別れではない。

「麦の穂をたよりにつかむわかれかな」 芭蕉はこの年に大阪で「旅に病んで・・・」51歳の生涯を閉じることになる。何か句に表れている感がある。【2025コメント奥の細道の南千住とはかなり雰囲気違います。】

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八丁畷から線路を渡り、駅の西側に出る。ここからしばらく京急の西側を歩く。通りそのものは面白くもなさそうな通りであるが、右手に旧東海道の石碑が見えて、間違いなさそうだ

一里塚、江戸からは5つ目らしいが初めてで、昔のままという感じで結構感動した。東海道を歩いているという実感が湧いてきた。

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そうこうして、このあまり面白げのない道を歩いて行くと、早々に鶴見橋が現れた。【2025コメント遠望出来るのは街道歩きの醍醐味、箱根越えで芦ノ湖が見えた時も 】殺風景な道になると、スピードが上がることになる。

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そろそろ12時、歩いているうちに多少空腹感が、メイン通りでなく駅の近くでもないのでお店は全く見えない。ただ、飯食いだけに東海道歩いているわけではないので、京急鶴見駅前に出たところで改めて蕎麦屋を探すことにして街道歩きに注力進行、途中いろいろ道標で歴史が解説してあり、興味深い。感謝。

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富士塚とは富士信仰、富士登山はまず無理なので富士塚作って信仰したらしい。なるほど勉強になりました。

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京急鶴見駅を越えて、駅の東側に出る。再び旧道ぽくなって、そろそろと早速そばやを探す。

某○屋が駅前にあったが、折角なら全国チェーンの店は避けたい、という思いで周辺をぐるぐる、    あれ、ない!

何人かに蕎麦屋の場所聞いたが避けるような対応で無視される、ところが最後に、聞いて無視したおばさんの相方(やはりおばさんですがw)が、少しやり過ごしてから、「駅前(○屋)と、この道の先にありますよ」と教えてくれた。ありがたい。根は皆親切なんですね。

都会では道を聞きづらく無視されることが多い。ところが小田原くらいまで行くと地図を広げていたら向こうから「どこに行かれるんですか?」と逆に声がけされるようになる。世知辛い東京一極集中。

笹屋という看板を見て戸をあけたら、席がわずかに空いてたので早速、入店、着席。


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毎度お約束のビール殿と鴨せいろ様

笹屋をでて、旧東海道へ戻り、横浜方面にしばらく行くと蕎麦屋は何軒かあった。でもどういう訳か鶴見の東側駅前は少なかったな。

妙な立地の国道駅を越えたら、生麦の地名が(蕎麦屋に行ってなかったら生麦酒か生蕎麦に見えたに違いない。)。生麦は海の近くだったのか、東海道沿いに魚河岸の屋号が結構続いている。

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生麦事件の後、島津藩は英国艦船からの砲撃を恐れて、宿場を神奈川宿から保土谷宿に変えたようだ。当時は横浜駅の東側は海だった。

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キリンの大きな工場が街道筋に長く続いている。第一京浜に出たところにやっと生麦事件跡の石碑があった。薩摩藩は当時の世界最強国英国と一戦を構え、賠償金もなかなか払わず交渉を重ねた。英国本国ではかえって薩摩への評価が高まり、使節団が訪英することになり、これが明治維新の体制へと繋がることになる。

川崎以南の関門が示すように、外国人居留区とのトラブルを相当恐れたみたいだ。

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第一京浜、トイレのありそうなコンビニなども何もなく、これはやばい、という感じになりかけたが、やっと新子安駅が見えてきた。

新子安の駅前の喫茶店は平日というのに全て休み。やむなくパスモで駅の中に。体も軽くなり至福の時。街道歩きは雨、トイレが難敵で、旅人は何故ビールを飲むのか?不可思議です。

【2025コメント昔は立ちションで良かったでしょうが、国道沿いではさすがに無理で一苦労。これからもしばらくはビール、コーヒー、トイレとの戦いが続いたが、徐々に戦いに疲れて自制していくことになった。】

また第一京浜を一路横浜神奈川の宿を目指すも、殺風景な道を粛々と進行。

またしてもトイレ休憩、体調がもう一つの為、喫茶店に入り休憩、ママさん一人で営業。良泉寺他の場所を確認、教えていただく。陸橋で道の反対側に渡るように言われる。店を出るとき質問。

「箱根駅伝はここを走るんですか?」

ママさん笑顔で「はい。」

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いずれにしてもここの段階で保土ヶ谷は断念、神奈川の宿へ【2025コメント 通常、次回のアクセス考慮し、お約束の公共機関再接近地までとしている】

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良泉寺から歴史の道へ。第一京浜からの仲木戸駅で歴史の道を探すも何回か間違って別の道へ。道が分かり、進んでいくといい佇まいでなかなか。案内板道標も有り難い。

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神奈川大井戸

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歴史の道を何回も右左折しながら神奈川宿本陣を過ぎて第一京浜へ戻る。すぐ宮前通りへ右折。ここに洲崎、袖ヶ浦、安房の名が、よく考えると対岸の地名なんですね。当時はすぐ傍まで海があった。【→生麦事件後の島津藩は報復恐れ、保土谷へ宿を移した。】

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旅籠の左はすぐ海、眺めが良かったようだ。

宮前通りからJR神奈川駅を過ぎて南西の道へ、台町だ。地名通り砲台跡があったようだ。坂を登るようにして進むと左側に龍馬の妻おりょうが働いていた文久3年創業田中屋があった。

その先の横浜駅再接近地、上台橋が今日のゴール。階段を下りて横浜駅の待ち合わせ場所(京急横浜改札口)へ

次回は横浜台町から保土ヶ谷、戸塚経由藤沢方面行ですが、そろそろ、京都を目指してますと人に言える感じかな。

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