ゆたぽん伝説
いろいろな事業にチャレンジしていることから次のような伝説がありました。
大富豪御曹司伝説
長崎阿蘭陀珈琲館を取得した時、スタッフの間で、私の親が大富豪という噂がありました。発信元はかなり年配のスタッフのようで、お聞きすると、とにかくそうに違いないと思い込まれたみたいで、皆さんそれを信じたようです。私の見かけが童顔で苦労してなさそう(上品とも??)に見えるのが原因かもしれません(笑)
実は私が平尾マンションを取得したのが親子3代で初めての不動産取得で、続けて横の戸建ても取得したことから母が喜んでいました。リアル父は大地主ならぬ大痔主で、有難くも私単独でしっかり相続しています。
高3まで家は長屋で4畳半と3畳の2部屋。3畳の部屋は教師の父の専用で、4畳半が母・姉・私3人の居間兼寝室で食事用ちゃぶ台や学習机もあったのでプライバシーも何も無かったです。隣家とは薄い壁1枚で、そういえば深夜、隣の家に泥棒が入り、試験採点していた父が「うるさいぞ!」と一喝、逃げて行ったことがありました。
オフレコ&時効ですが私も採点させられたことがあり、見たら何と⚪︎⚪︎生。私的な感情を抑えつつと思ったが今も昔も美人に弱く・・・
兜町大物相場師伝説
残念ながら株は殆どしたことがありません。理由はこれまでの事業経験で、成功された方などが株で失敗して自己破産するなど不条理な場面を見てきたからです。あのリスキーな信用取引も根っから勝負師ではないのでよく分かりません。
何でも節度を持ってやればいいのでしょうが、自分の性格上それができるかどうか。昔の話ですが、株の売買にハマってる会計士の友人が、仕事を中断したり、短波放送を聞きながら監査していたのを思い出します。仕事どころではなかったのでしょう。
運よく儲かった人はふるさと納税などケチなことは言わずに郷里への個人献金など社会貢献して欲しい。
不動産王伝説
これもよく言われています。イメージと異なると思いますが、効率重視から小規模で固く投資運用してきました。保有物件数は普通の方よりは多いと思いますが、不動産王と呼ばれる方とは比較するほどのレベルではありません。
実は税理士開業当初から営業戦略上の経営テーマとして「経営資源としての不動産」を研究していたことで、不動産全般に強いと評判になり、顧客もその関連が多かったのですが、
やはり現実に取得かつ保有しないと説得力が無く、本業のシナジーにもならないと判断、物件特性や管理ノウハウの取得目的としてなるべくシーンの異なった物件をバラバラに取得してきました。
投資判断としては処分可能性や運用可能性を中心に、ある意味リスク回避を優先して考えていました。福岡以外の地域投資も総資産の20%を限度とする自身の「上限規制」を設定しています。
いずれにしても自身で設定したルールの中で投資しているので、不動産王には程遠いです。依頼されて取得した物件がたまたまですが存在感のある物件が多く、そのような(不動産王)印象を持たれているのかもしれません。
強運伝説➩最低点合格伝説(運も実力のうち??)
宅建試験編
還暦前年、「還暦祝いに(自分で)自分にご褒美!」というテーマで、東海道五十三次踏破と宅建資格を自分にプレゼントすることを企画。早速、東海道五十三次は誕生日ゴール目指して日本橋出発、品川、川崎、横浜へ・・・京へと歩を進める。宅建試験は来年(誕生年)に備えダンドリ君。情報収集・整理の為に参考書と過去問集10冊ずつ購入し、網羅性に注意しつつ各一冊ずつ選び、基本書とする学習を計画設定した。東海道は難所の箱根、鈴鹿峠を踏破し4月1日0時0分に計画通り三条大橋へゴ――――ル。
宅建の受験勉強は翌年のお盆休みに学習開始、誤算は年度で参考書が更新されたことだった(笑)よく見ると税法、会計学、経済学など一般の受験生よりははるかに優位性があることを自認しつつ10月に入ると過去問はほぼ合格点が取れるようになった。
本番の受験地は九大箱崎校舎で、終わって帰るタイミングで専門学校が模範回答を配っていたので帰って調べると36点、おぉ、ほぼ合格と確信し、企画作戦大成功と安堵していたが・・・。
数日後、ネット(当時2チャンネル)で見ると、なんと今回は問題が優しく、合格点が36点以上と予想されていた。まさかと思ったが、不安になりもう一度確かめてみると、間違いなく36点。「1点差で不合格だった」と、よくそう言う人がいるが、俺は絶対言いたくない。心配したが、なんとか無事合格、合格証書を自分にプレゼント出来た次第。掛け値無し最低点合格(笑)
大学受験編
高2までは近隣の国立文系に進学するものと自他ともに思っていた。変わることになったきっかけが高2最後のクラス分けテストで、ほぼ一桁の順位で安心し、親にも報告していたが、なんと文系・理系100人の中に入れなかった。このことがこれまでの自身の流れをクリアランスし、人生を変えるきっかけともなった。
入ったクラスは国立教育系進学クラスで、フレンドリーな雰囲気でガツガツ受験競争するイメージはなかったので、自身で本気モードでの自主学習の受験勉強を始めた。もちろん塾に行く予算はなかったので「ながせ屋(本屋)」に通い詰めで参考書を探しまくった。
父親は既に64歳、教職は退職、講師も辞めて年金生活中、もともと中途採用なので年金は少なく、しかも宵越しの金は持たない江戸前気質だったので、与えられた条件は国公立で現役合格(浪人不可)。いわゆる一発勝負。ただ、言われるまでもなく、もともと自分でも浪人や大学に行かない選択肢は全く無かった。不合格ならどうなっていたのか(笑)
そんな折、友人の兄に旧三商大の大阪市立大学を勧められた。正直、予算の関係で地元以外は全く考えていなかったが、赤本を見て目を丸くした。学費は800円/月、寮費は2食付き4800円/月、バイト紹介率100%で別名アルバイト大学、出口の大企業就職率99%。関西ではあるが、現実的にここならば学生生活を送れるイメージが出来た。姉夫婦も在阪で受験の際の宿泊代も不要、ここしかないと決意し親に話して了解を得た。本来なら用心の為二期校を受けるのだが探す気が無く、一発勝負でこの大学にかけることにした。そんな折、九大学力コンクール(九州一円)で科目別で1位となるなど、全科目で伸びてきており、合格は間違いないと踏んでいた。
ところが、年が明けて、とんでもないことに。学園紛争(安田講堂占拠)で、東大受験が中止になり受験生に激震が入った。東大受験生は大半が京大を受験する。従って京大は空前の競争となることが予想され、都心関西の旧帝大の受験生も志望校をどこにするのか、受験間近で大混乱になった。
通常の東大志望者は阪大や名大など(仮面含む)へ変更していた。阪大、名大がそのような事情なので大阪市大も当然影響を受けると言われたが、私自身はあくまで生活権確保が主目的で、偏差値で大学を決めた訳ではないので他の選択肢が無かった。初志貫徹で大阪の姉の家へ。事前に電車乗り換える練習(笑)、当日は姉から弁当を作ってもらって受験に臨んだ。
結果、周囲の不合格予想をよそになんとか現役合格。とはいえ、喜んでいる場合ではない、奨学金も入寮も必須なのでハードルは続く。奨学金の面接を受けたときに「一生懸命勉強して恩返しします。」と答えると面接官が苦笑い。こちらは笑い事じゃなかったが(笑)。年齢を聞かれて17歳と話すとびっくりされた覚えがある。寮は2つのボロ寮があり、希望を聞かれ、「どこでも大丈夫です(長屋住まい中)。」と応えると遠い方に決まった。本当にどこでも良かった。これで入学式までに何とか全条件クリアー、やっと大学生生活イメージが担保できた。
火事場のくそ力は通用しないと思うので、背水の陣作戦で合格したと思う。従って自身謙虚認定の最低点合格(笑)
大学では麻雀とバイトで裕福に暮らした。奨学金も催促が来るまで放置し、纏めてもらいに行っていた。私のバイトの給料日を後輩たちが楽しみに待っていた。初心はどこへ。
公認会計士会計士受験編
麻雀、バイト、放浪で単位不足となり就職断念。昼間のバイトに加え家庭教師、宿直で一定額を貯金出来て、ビジネス起業目的へと決断した。まず必須である経営・経理の勉強をと思い、折角なら会計士でも合格してから(笑、車の免許じゃないぞ。)と勉強開始したのは4月、市販の月間受験専門誌を購入し、学校図書館にも通いながら答練を続けた。10月に入ると、予定していた他流試合よろしくと専門学校の3か月コース(実力養成コース)へ行くと見事に返り討ちに!しかもあまりのレベルの違いに驚愕した。考え方を根底から改め、受験戦略を変更(手段目的から上位基本目的へ)し、専門学校に通い続けた。ところが12月に入るぐらいにほぼ追いついてきた。大体勉強の仕方(点の取り方)がわかったので、生活の為のバイトもしないといけないので通学時間(往復2時間)がもったいないと、セミナーは12月でやめ、その後のテキストは友人から買うことにした(友人なのに足元みてふっかけてきた笑)。
翌年7月に金沢まで行って受験した。受験者は100人くらいで、クーラー目的での関西からの大挙出願で大半が知りあいだった。このなかで5~6人か、有名人が10人以上いて厳しいなと思いながらの初受験。試験官から、「他地区の受験生とのバランスでクーラーは試験開始から終了時間までに限定します」と伝えられた。(笑)
金沢のホテルでは夜は殆ど寝ていない。1日目、2日目とそこそこ出来たので2日目夜は緊張でほとんど寝ていない。3日目の最終科目の商法(現会社法)の前にリポビタンÐを買って飲んだ。試験が終わり、誰とも話したくなかったので、あれが正解なら合格していた可能性もあったかな、など考えつつ睡魔と疲れでと朦朧としながら・・・一人特急で帰阪した。
合格発表は第二の放浪故郷北海道札幌で確認した。何となく自信はあったが、予め財務局に電話して受験番号を伝え、合否を確認してもらうと、「〇番でしたね、これはなんとお読みするのかな?」と言われたので、「分かりました、もう結構です。」と電話を切り、その足で財務局に向かい、受験番号と名前を確認した。
並み居る有名人が不合格となった。大学図書館で、これからの実務の研修計画をどうしようか考えていると、本命視されていた友人がやってきて来年の受験計画の相談にきたので、無言で笑顔で返すこと3回、「ひょっとしたら・・・」の声に軽く頷く。
結果、ノーマークの合格、恐らく最低点付近での合格と公言していた。
「ぎりぎりでも首席でも合格は合格、全く変わらないよ、気にするな。」という嬉しくない気遣い(笑)する友人もいた。やはり友人達も認定の最低点合格。