島原街道 堂崎~愛野(無念、加津佐でリタイア)

弘法は筆を選ばず⇨自称プロウォーカーもどきは靴も選べず
(プロローグ 妄想フィクション編)
ここは西中洲のとあるバーのカウンター、男と女 言葉はいらない ときにみつめて・・
夜の帳は少しずつ降りて、対岸の中洲の人の蠢きが徐々に少なくなって・・・。
ふと女が、
「ウォーキングのときはどんな靴使うの?」
「こういうものをね、こうして、ああしてさ・・・。」
「おぉ、なぁるほど、さすが「自称プロ街道ウォーカーもどき」さんは違うんですね~!」
「そう、街道プロにとって靴は武士の魂、刀と一緒、寝る時も枕元さ。」
男が、したり顔で話すと、
女は苦笑いしながら、
「ほほ~・・・」
妄想タイム終了! 目覚ましの音に目が覚めた、もう起きないと間に合わんぞ!
堂崎(堂崎局)~加津佐(海水浴場前)
仕事の合間の久しぶりのウォーキング。数日前から段取り君よろしく準備を進めてきた。
準備万端、朝一出発したのだが、自称街道プロは、福岡から島原に向かう船の中で、あろうことか、不覚!武士の魂を忘れたことに気がついた。しかも、これが今回は致命傷となってしまった。あるまじきことが起こってしまった。
島原に到着、仕事に着手、終わった(終わらせた)タイミングで靴を調達しようと思い、即行、アーケードに向かったが、あれれ、昔のなじみの店がない。あせってイオンに行こうかどうしようかと友人に電話相談すると、国道沿いにも専門店の靴屋があるということだったので、その店に行き、しばし店内を見渡したがアイテム的になんとなくイメージに合わない。これならなんとかと行けるかなと思って選んだのが2点、だが、販売員の方が来る様子がないので相談とか出来ず困ってしまった。どうして買っていいか分からない。
(笑ってはいけない、ゆたぽんは、皆様ご指摘のシャイにあらず、キャナルシティに20年いたので〇BCマートなどのヘビーユーザであることを付言しておきたい 笑。)
結果、販売員の方に説明を受け、自己判断で調達したが、選んだ靴がまた悪かった。魂を忘れただけではない、安易に選ぶというこれまたプロの所業にあらず。
弘法は筆(靴)を選ばずというが、武士の魂には通用せず(弘法様ではないが)。翌日、両足に通風・リュウマチが同時劇症発症したような鈍痛、激痛に見舞われながらの行軍を続けることになってしまった。 (続く)
今回の本当の目標は、実は、今日のうちに、加津佐の前浜海水浴場前から山側に向かう道に入り、次の日の、小浜経由愛野行きを確実に達成する為に、出来るだけ北上し、そこから宿泊地まで引き返す戦略だ。
運良く農道を超え、ある程度北上できれば、海(橘湾)側の国道に出てバスで宿泊地までバックするオプションも付してある。さすが街道プロ、計画は万全ではあったが・・・。
宿泊は各種のオプションなどを総合判断、口之津の海辺のリゾートホテルとした。
翌朝、まず先日S社長と共にした堂崎郵便局までバスで移動、AM7.45に前回マーキング位置確認、南進を開始した。
気になっている靴は少し小さめ?サイズがなかったのだ。靴紐をフルに使い、つま先を緩めに、甲の部分を強く縛った。
海沿いの漁師道という感じの道から突き当り、少し山側に右折すると左手に石畳の登り道が見えた。ここが殿様道路の石畳の登りである。「下往還 殿様道路」と標識に書かれていて、比較的往時の雰囲気が分かる程度に残されている。
石畳の道は、東海道では箱根の上り、特に畑宿周辺が有名だ。往時の石畳のいろいろな機能について解説もされている。
上る途中、右手に天満宮の鳥居があったが、荒れている感じ。石畳は短い、すぐに上り詰めて、そのまま細い道を下っていくとしばらくして国道に合流した。
蒲河橋を渡り国道へ。横切って一旦浜側へ上り坂に。慶長年間のキリシタン供養塔(偽装なのか、後に変えてしまったのか、島原大変の供養塔とされていたらしい。里坊、須川のキリシタン墓地に繋がるものと思われる。)のところを右折すると白崎で再度国道を横切り、そのまま有家宿の方へ。
専念寺の前を左折すると、古い町並みが続く旧道らしい道となった。
有家宿の出口あたりで有家城を右手に有家川を超える。この亀渕橋は、今はコンクリート道(潜水橋と解説されている。 四万十川の沈下橋か。)であるが、歴史的には、豪商により作られた石橋が流出、その後作られた木橋も流出を繰り返したそうである。
この辺りで、ハートにびびっとじゃなく、足の方にびびっと(違和感が走った)。しかし、まだまだ先は長いぞ!
【自称プロ街道ウォーカーはもどきは靴を選べず!恥】
里坊、尾崎の集落を過ぎて国道のガードを潜り大神神社(そうめん神社)の脇を通り、さらに南下。ここ西有家は島原そうめんの主要産地だ。島原そうめんは、島原の乱以降、地勢が近似している小豆島(播州揖保乃糸)から当地への移民がもたらしたと言われているが他に福建省起源説などあり、いずれも伝承レベルのものしかない。
【※少し脇(街道)に逸れた話を。
豊前街道を南下中、肥後の南関(関所跡)を通った時、狙っていた店で昼食、入店即、「揚げ丼とそうめんの(名物)セット」を注文、料理待ち、「生」がなく「瓶」で、まったり時間へ突入しようとして・・・。
ふと、メニューのそうめん400円の横に南関そうめん600円が見えた(驚)
慌てて大将に、
「今のストップ!そうめんを南関そうめんに変更お願い。」
と注文し直した。食後、気になったので、「南関そうめん」の横の「そうめん」とはこれ如何に?と聞いたら、
「そうめんは島原そうめんのことですよ、南関そうめんは手作りなので。」
「えっ、きさんっ、なんばゆうちょっとな!島原そうめんも手延べじゃけん、ワシは島原出身じゃけんの~」
(旧西鉄、広島カープ騒乱風そうめん大盛り揚げ丼添え)と言いたかったが、( ;∀;)シャイで申し訳ない。】
話は戻して、近くの須川港は、明治以来、近遠海漁業の拠点として、またそうめんを中心とした海運で地域の経済拠点としても栄えたが、戦時中の物資統制から流通の変化で徐々に廃れて行き、往年の須川(そうめん)船時代の栄えていたイメージは見る影も無い。
神社脇から来た道を直進し、川沿いから旧鉄道跡地西有家駅を左手に進むと、道は遮断され行き止まりとなる。一旦国道へ出て、翔南高校下を左折し、途中で校庭脇道へ階段を上ると、先ほどの遮断された道の延長になり、ここが旧街道に間違いがない。
階段を🄿上るときに、かかとが擦れて激痛が走った。
「歩けるかな~」
不安がよぎるが、細い道を進み、雲仙への道を横切り、旧街道らしき道を進んで行くと、首越坂という上り坂になる。漁の神様である若宮神社を過ぎて、坂を上り切るとすぐ下りに、志賀神社の参道の鳥居の前で県道へ出て右折、そのまま進み国道へ出た。
国道を南下し、右手に龍石神社、その先の街道お約束の境橋を過ぎて国道から分岐、旧小浜線の方に向かうと左から来た現在の小浜線と合流、西進し、橋口で右折、右手には日野江城跡が見えた。
水神のある交差点で、古ぼけて見辛い札ノ辻の解説板があった、近くにはセミナリオ(イエズス会が作った学校のようなもの、中等教育用でコレジオとは異なる。)があったそうだ。
ここを左折すると、県道に出て島鉄バス停の「南道」に、横切り、川側に入って「南道」の解説板が見えた、ここまで足を引きずりながら進行した。ここで南目道が終わりとなる。
この間、足、腰の激痛は靴ひもを何回も縛りなおしたり、柔らかいものを挟んだりしたが効果なく、頭の中は逆療法で缶ビール飲んでみるか、痛み止めにと過激な思いも! 笑
やっとここまで来たか、何度もリタイヤがよぎったが、宿泊地の口之津までは何とか行き着きつかねば。目標は、もはや串山、加津佐どころではなくなった。ここから西目道の入り口となる(続く)
轟川を超え、川辺にキリシタン殉教地の碑があった。傷足をかばって、反対足に負担が来て、次に膝、腰、下半身全体にまで痛みが回って来ている。
国道に戻り、昼食場所を探す。とにかく足腰が痛いので、まずは食事、というより本音休憩したい。
コメリが見えた。ラッキー、リバテープを買い、傷口に2重に貼ったが、その分盛り上がったようになって更に痛みが増えてしまった。
それにしても昼食の場所がない、なんで国道沿いにないのだ!世界遺産の傍なのに。真砂(南島原市指定管理業者運営、真砂名由来あり)まで行けば確実にありつけそうだが、腰痛激痛、そこまで行く余裕がないのだ。
右手に、あれ、営業しているのかな、という風体の喫茶店があった、考える余裕なくとにかく座って一休みしたい。入店し、考えた末にちゃんぽんを注文、ところがこれが絶品だった。久しぶりで味わい深いちゃんぽんにあったものである。料理は見かけにあらず、すみません。
出発したくないが時間が無い、下半身が、ストライキ状態だが、鞭声~粛々~、無言で南進開始、街道を進む。
原城から山側に入ったが、この辺りから周りを見る余裕がない。集中力は無くなり、ただ前に進むだけ。それにしても結構上りが続く。地図に沿って、これほど長く感じたことがない。周りは殆ど目に入らない。
足腰へのダメージで歩幅は50㎝以下になったようだ。上半身超前傾での推進力のみで、倒れる寸前に足を前に出しながら進んでゆく。登りになると更にバランスが難しい。
無心に歩き続けて、やがて下りになり、いつの間にか口之津の市街地入り口に。山側に入ってから小一時間過ぎている。
島原の乱唯一の生き残りである右衛門作由来の橋を過ぎて国道を横切る。海側に行くと、からゆきさんの資料で有名な歴史民俗資料館があり、その先に烽火山(時代は新羅から英仏まで?)が見えた。
口之津タ-ミナル傍で時間をチェック。まだ15時前、ここまで来てもう少し、何とか、前浜海水浴場前まで進む健気な決断。再び山側へ。
口加高校前を通り、海側に下って女島の前から加津佐海水浴場前に着く。こから右に旧市街地に入る道が旧道である。街道沿いの遺構チェックは省略。
口之津行きのバス停のベンチに座り込む。バス時刻表では、あと10分くらいだが、座っているだけなら1時間でも待ってもいいやと思っていたら、バスが来たのは本当に30分以上経過してからだった 笑
(エピローグ)
今日は30キロ程だったが、善戦としかいいようがない。自分で自分を褒めてあげたい 笑
実は、FBの友達の御母堂が私の小学校の恩師である。この記事見られたら、
「嬉野君、新しい靴で歩くのは駄目と教えたでしょう!」
と厳しいダメ出しをされると思う。
夕食は、段取り君よろしく、すぐ近くに寿司屋があったので先に予約しておいた。足はヘロヘロだが口は元気だw靴は後ろ履きにもう履きつぶす感覚でホテル出ると既に真っ暗。ホテルから僅か100mくらいの距離なのに先が見えない。光がない街灯もない。多分、近くの人が食べにくるという設定の店ではない。
予約時間前に行ったが誰もいないのでカウンターでまったりと待つ、時間通りに大将と女将が出てこられた。客は他にいなかったので、すしネタ以外の話のネタで盛り上がった。質、量、サービス全てレベルが高い店だった。対岸の天草本渡の寿司屋にも同じレベルの店があるが、一応繁華街、ここは寂しすぎる。
帰る際、
「お近くですが、気を付けて」と言われた。
えっ、直ぐ近くと思ったが、的確なアドバイス。真っ暗がりをなんとかたどり着き、いい気分のまま部屋へ、そういえば明日は愛野チャレンジだったが?えっ?
朝起きて、靴が履けないほど腫れあがっているということで、自分で自分に得心を与える。
今回は無念のリタイヤ、「やめ!転進!」と今回ここで撤退宣言。チーン。
街道紀行の次稿は南串山の路木周辺、小浜山領の難所越えから愛野原口番所跡までとなります。ひたすらジャガイモ畑とイノシシ除けを避けての紀行となりました。

