奥州街道中 越谷~古河二日目 幸手から栗橋経由古河へ(古河公方様登場編)

昨日のとんでもない旅の恥はかき捨てと、早くこの地を「去って」と北進開始、
日光街道の各宿場はやはりシャッターアート。特に千住宿(北千住)の宿場通りには各宿アートが勢揃いしていたな。同じく幸手(さって)宿の通りも。

街道沿いを進んで行き、ほぼ宿場外れるところの聖福寺を覗くと、参道の掲示スペースに街道地図が見えた。江戸中期の街道案内で関宿、杉戸(日光街道)、行田(中仙道)も見える。

実はマイコレクションの江戸中後期の「増補日光道中行程記」(安政5年)にも同じ地図があるが、ただ、増補の際、忍城主の名前などがメンテされている。同行程記には名所案内、木賃宿、名物等の案内もあり、現在のガイドブックと変わらない。

地図中、最初のページには日本橋の箇所も。右中が日本橋の橋、室丁(町)、上段が日光街道で真中に浅草橋御門(現浅草橋)、中段は中仙道で昌平橋、神田明神、湯島・・・少しズレているが続いている。木曽(中仙)道中行程記?と使いまわしなのか?

そのまま4号線に合流し、中川を越えて左折、田圃道を進んで行くと追分石が見えた。右手には「つくば道」とある。左手直進して行くと栗橋の町並みが徐々に近づいてくる。


やがて市街地に入り左手の栗橋駅を過ぎて、更に進むと八坂神社と栗橋関所、栗橋宿の本陣跡の道標があり、北側には利根川が大きく広がっている。参拝後、土手を一気に駆け上る。
(少年!)

広い、大きい、長い、さすが坂東太郎。橋を渡る途中で茨城へと県境越え バス旅のようにぴょんとジャンプ!橋を超えて、一旦左手の中田宿(間の宿)へ。踏切を越え、松原を過ぎて古河宿に到着した。

気が付くとゆたぽんは妄想モードへ。甲冑姿の公方殿に変身され申して、周りに近習(美人腰元?)を従えて古河公方通りを北へ進まれている・・・。やがて右手に古河駅の表示が見えると、軍扇を右へかざし、右折されもうした。程なくして左手に蕎麦屋が見えてきた。
公方殿は性懲りもなく、またしても蕎麦を所望された。ところが🍺が来るまでに公房さまはお隠れになり、ゆたぽん再登場。学習効果で天丼セットは天ぷら蕎麦に変更していた。食して考え込む様子から、今回の旅への深い想いかと思いきや、次回の小山宿は地域に敬意を表し、蕎麦からうどんに変更しよう???てかその程度!。


蕎麦屋を出て、意外に寂しい古河駅に予定より随分早めに到着、もう少し先まで歩けばよかったかな?と今更思いつつも雑念は捨ててホームへ。田舎者、今度は電車を間違えない様に羽田へ!小金井行き?騙されんぞ。


