薩摩街道 西田橋御門跡~熊本城札ノ辻

テーマ 鹿児島中央駅前の「若き薩摩の群像」
(プロローグ)
九州新幹線はつばめに非ず、特急もぐらなのか、長いトンネルを過ぎるとそこは鹿児島中央(笑、西鹿児島と間違えたら年がバレる)
鹿児島は同じ九州でありながらも仕事以外にはあまり訪れるチャンスが無かった。特に市内は完全仕事のみ、しかもいつも黒豚ラーメン食ってトンボかえりで帰福していた。
今回はウォーキングとはいえ、私的な鹿児島市内訪問は久しぶりで少しワクワク気味。ところで、向かう車中で、ふと、鹿児島駅前には誰の銅像があったかなと疑問が湧き、なかなか思い出せず、やはりかごんま、地域柄((m´・ω・`)m ゴメン…)馬上ゆたかな軍神像は誰だったかなと悩みつつ未解決のままの鹿児島中央着となった。
ところが、やや決めつけ過ぎたか、駅前に出て見えたのは高い塔屋状のオブジェにブロンズ人物像が登っているのか、休んでいるのか、群れているナニコレ珍光景。あまりの意外さで思わず近づいてみると、「若き薩摩の群像」と解説プレートがあった。何の意味があるのかと思い、この解説(略歴がすごい)を見て、ここに設置されている理由に納得した。さすが教育県に相応しい、鹿児島県人の誇りのなせる技と感じた次第。

明治維新はある意味、日本が最も輝いた時期だったと思う。近代国家に向けて大きく飛躍したが、その時期の日本を鹿児島人脈はリードしてきたという自負と誇りが見えた感がする。
生麦事件、薩英戦争の解決交渉を経て、相手の力に屈せず、問題の解決交渉に当たる姿勢から英国は寧ろ共通の利害を求めるという姿勢に変わっていく。
中心となった五代友厚は政商ジャーディンマセソンカンパニーのトーマスグラバーの協力で幕府の禁忌(死罪)を破り、密航同様に19人(使節団4人、留学生15人)は英国へ渡航を実行した。英国、欧州を視察し、1867年のパリ万博へ幕府とは別に藩としての参加も交渉している。
西郷や大久保のような有名政治家、軍人だけでなく、この19人が帰国後、政治、官僚のみならず経済、文化、芸術、教育各分野で活躍した実績に改めて驚愕させられた。


※五代友厚は大河ドラマ、朝ドラで何回も見たことがある。「あさが来た」、「八重の桜」「青天を衝け」などは時代的に被るところが多い。ディーン藤岡が演じている。なぜ五代に言及したか、実はゆたぽん人生においても彼の功績の恩恵を多いに授かったことによる。
久しぶりに感動を覚えつつ、スタート地点の甲突川沿い西田橋御門跡の方へ向かった。これから向かう薩摩街道出水筋は彼ら19人が串木野(同市羽島で密航準備)まで進んだ同じ道程となる。
西田橋へ着いて甲突川を渡って遺構をチェックし、ここが薩摩街道の起点というエビデンスを期待したがオフィシャルなものが無く、御門があったなどの解説板しかなかった。

ただ、同解説板によると、この門から鶴丸城下までは厳重な管理下にあったそうで、街道としてはここを起点として扱うものが多い。


