長屋王伝説

長屋王伝説

(天智天皇、天武天皇直系の長屋王ではありません笑。)。

戦後仮設住宅(「しょんべん住宅」と呼ばれていた、由来は内緒。)で幼少期を過ごした自称長屋(王)の伝説物語である。

高校まで過ごした我が家は戦後の仮設住宅で、正式には3号住宅と称されていたが、前回の国体開催時に景観上見苦しいとの理由で解体され、2階建てアパートに建て替わってしまった。そのアパートも既に築50年になり、何らかの施策が考えられていると思う。折角国史跡になったのなら、何か観光に役立てるものを考えて欲しい。

更に私が生まれた頃まで遡ると、3号長屋の西側、南側(現商業高校のテニスコート)に1号、2号と称される、2棟の崩れかかったような2階建て長屋があって、そこで私は出生した。  

1歳の頃、ハイハイしているうちに2階の階段から転落し、いつも優しくしてくれる女性の方(母だったらしい、幼少の頃のイメージ、母という認識は無かった。)に助けに来てもらった記憶がある。そのまま伊東外科に運ばれて助かった。先生は命の殷人である。おぼろげながら記憶しているのは2階建ての長屋の1階には各戸のかまどが並んでいた。

物心ついた頃に3号長屋に移れると聞いて嬉しかった覚えがある。当時、もちろん水道はなく、長屋裏に井戸の水場があり、朝早く、米とぎに行くと「ゆたかちゃんお手伝い偉いね」と、笑、丁度キャンプ場の様な雰囲気だった記憶がある。

事情は忘れたが、井戸が使えかったのか城の堀下の湧き水を汲みに行き、両手に水が入ったバケツを持って何回も階段を上り降りして運んだ覚えがある(長屋から石階段を下ると市道があり、その市道の堀端から更に石段を下った堀下に湧水があった。)。後に各戸に水道が通り、蛇口が出来た時は感激であった。そういえば当時の舗装されてない市道には荷馬車が通り、道端には馬糞の山があったな。

長屋の住人伝説

 3号住宅の住人は皆さん明るく、人も良く、あちこちで笑い声が聞こえていた。皆さん生きるために必死で頑張っていて、他人の悪口などいう暇はなさそうだった。住人には公務員やサラリーマンのようなホワイトカラーは少なく、教職の我が家は珍しかったかもしれない。

庶民バージョン多種多様、例えば薄壁1枚の隣りの家はリヤカーに野菜果物を積んでの行商のおばちゃん、向いは一人ぐらしの婆ちゃん、はす向かいの先は自転車荷台にアミ漬けなど積んでの行商のおっちゃんで魚臭よりアルコール臭ぷんぷん(笑)その隣がおけさ姿の衣装で黍団子を売り歩くおじさん。皆さん優しい方で、何かしら仲間意識もあり、街でばったり出くわすと、「ゆたかちゃーん」と、みかんや黍団子をもらったこともあった。

そういえば発明王のような不思議なおじさんや玄関先で歌を歌ってお金をもらっているおじさんもいた。縁側で何か音がするので障子を開けると2軒先のおじさんがパンツ一丁で座っていて、うちのラジオ(西鉄ライオンズの実況)を聴いているなど、現代の無機質な感じの団地とは大違いであった。

学歴長屋王伝説

3号長屋の同級生は7人くらいで、うち女性が3人、男は4人いたが、(1級下には次回の美人薄命伝説の女性はいたが、男性はいなかった。)小学校6年になるとき、先生から地区の委員をお願いされ、普通は逃げ回るのだが、他メンの顔ぶれを考え・・・・諦めて受けることにした。

大卒は恐らく私だけ?ほぼ中卒で集団就職?事情は忘れたが試験前に頼まれて同級生(男)に勉強を教えたこともしばしばあった。しかし私が学歴長屋王ではない。実は団地で数年上の方で、東大に行った方もいた。この方が正真正銘の学歴長屋王である。

そういえば、当時、あの草野仁のお父さんが有名塾を開いていて、同級生の成績優秀有名人が通っていた。もちろんうちの長屋メンとは関係ない。

栄養失調伝説

私自身、4月1日生まれで幼稚園時代は一つ下の学年と思っていた。教師と市役所職員である両親も恐らくそう思っていたのではないか(笑)というのは、いきなり来月から飛び級(笑)、小学校に行くよと言われ、バタバタとランドセルを買いに連れていかれ、ものすごく不機嫌になった記憶がある。(証拠写真あり)。その頃は病気がちで、チビでやせ細っており、校医の八尾先生からもずっと「栄養失調」と言われていた。

入学して最初の運動会で男女ペアのダンスがあって、誕生日順に最後に登場するも全く踊れず、ついて行けずで「ちっちゃーい、可愛い、無理よね~」とかの声が!「ほ~ら、言わんこっちゃない」(by本人)。 

ところがペアになった3月生まれの女子が早生まれのハンディものかわ積極的にゆたぽんをリード。この女性は身長もそこそこに美人かつ勉学も無双。おかげで私は単なる発育不全の不器用ものとの認定が下されてしまった( ;∀;)!

小4の身体検査で八尾先生から「今回まで栄養失調としておこう」、と言われたことで、トレンドとしては良かったのだろう。ただ、保健の先生から「あなたの様な子が20歳で亡くなったよ。」と言われたことがずっと心に残って不安だった。大学の寮で体重が48㌔であだ名がキリスト。改めて20歳になったときに「何とか無事でここまで来れたな、あの時は怖かったな」と安堵した覚えがある。

それから、時を重ね重ねて3倍以上・・・と、重ね過ぎたか(笑)、体重も1.5倍に。

美人薄命伝説

この長屋でまさしく、雛には稀な!我が家のはす向かいに一級下でミス島原になった女の子がいた。目がくりくりした可憐な感じの女性で、名前もゆり、透き通るような色白で細身、雰囲気は河合奈保子を細身にした感じ、両親も弟もみな美男美女。

私の長屋は小・中・高と学校に近接した場所で、時に家の方が職員室よりも教室に近く、始業チャイムが鳴って家を出たこともあった。そんな立地事情なので学校の終わりに同級生が家によくあそびに来ていた!が、ただ、動機は全く不純で、「また来たか!」あきらかに視線はその子の家の方へ向いていた。

彼女は美人にありがち?男性に対しては常に視線を避けるような塩対応だったが私に会うといつも笑顔いっぱいで微笑みかけていた。目撃した奴から「お前!この野郎!」と何度言われたことか。一つ上のやばい奴から言われたときには必死に逃げまくったこともあった。

高校卒業後、私は大阪へ。大学4年くらいか?帰省した時にいきなり「私結婚します。」と挨拶に来た

「あ、おめでとう」と返したが、高校卒業以来会うことが無かったが、改めてショックではあったが、でも、なんでわざわざとも思ったが。

そういえば・・・小学校の低学年の頃、原っぱで星を見ながら・・あれがオリオン座、北斗七星・・なんて教えながら・・・。

「大きくなったら結婚しようね。」「うん。」

そんな会話をした覚えが・・・妄想だったか。

「ちゃんと約束したろうが!」というべきだったか(笑)

しかし結婚されて間もなく白血病でなくなったそうで、あまりにも「美人薄命」。

運動会リレー、ルール違反事件伝説

強烈な記憶にあるのが小学校5年の運動会、長屋にはすぐ下の学年に男はいなかったため、今年のリレーは不参加かなと思っていたら町内会長がやってきて、チビでやせ細ったゆたぽんを見て「ゆたかちゃん、下の学年で出てくれんね、もともと4月1日早生まれだし。〇〇ちゃんたちがどうしても参加したいらしいので、・・・。」「・・バレんよ。」と。

運動会当日、プログラムが進み、くだんのリレーが始まったが、想定外だったのは2学年下(要するに前走者)に俊足のガキがいて、なんとトップでバトンを受けることになってしまった。バトン受けて逃げる様に走ると不思議に抜かれることもなく、そのまま同級生にバトンを手渡した、とたん、たちまち数人に抜かれ、更に順位を落とし最下位でゴールに。間髪を入れず校内放送で呼び出しが!町内会長と並んで先生から大目玉を食らった。そらバレるよな。

幻となったハエ取り大会伝説

小学校の企画で戦後あるあるだったのか、町内の環境衛生美化促進を目的として全校地区対抗でハエ取り大会(数を競う)が行われていた。

他地区の子供達は各クラスで5~6匹ほどハエたたきで取ったやつをビニール袋で持ってきて、先生が箸で数えて、「はい間違いないです!」という可愛げな?感じで進んでいたが、中日くらいに私がたまったハエをビニール袋に入れて持って行くと(女の)先生が思わず息を飲んださまで、だんだん顔が曇り・・無言になり。私が「1000匹以上です。」というと、吐き気交じりに「すぐ捨てて来なさい・・・」 数えなくていいのかと思ったが・・・

翌日学校掲示板のランキングには私の数字が一旦反映されて我が長屋がダントツトップに、褒められるかと思いきや、その日の夜、町内会長から、

「ゆたかちゃん、頑張っているのは分かるけど、この住宅はそんなに不衛生かと思われるので、食べ物の商売の方もいるので、みんな辞めて欲しいと・・・」

「はっ?・・・はい。」

翌日から掲示が消えて、翌年から大会は無くなったような気がする?私のせいではないと信じます。実話です。

小学校町内対抗ソフトボール大会伝説

えっ、参加すると!聞いてびっくり。

大会当日になって学校に行くと、なんとユニホームでそろえている商店街の裕福金持ちチームを見てびっくり。カルチャーショック!我が長屋チームはといえば服は勿論バラバラ、グローブなどもほぼ借り物で、なかには軍手と変わらないビニールのおもちゃのやつも。素手もいた。

試合開始してしばらく、ふと、歓声が上がったのは4番バッターが打席に入ったとき。見るとなんと下駄履きだった。決して受け狙いではなく、たまたま試合の前にどぶにはまってしまい、余分の靴が無かったみたいだが(笑)

それでもトーナメント戦で1回は勝ったような気がする。